オノガワ精機について
代表あいさつ
有限会社オノガワ精機は、はん用機械器具製造をする工場です。事業内容は、小径(φ38以下)の丸棒・六角の切削を行っています。
金属(ステンレス、アルミ、真鍮、銅、鉄、チタン、難削材)非金属(樹脂、紙入りベーク)などがあります。
当社では航空宇宙産業、医療機器産業、ロボット産業分野で求められる高精度の部品の短納期化に対応する必要があり、平成24年度補正および26年度補正予算ものづくり補助金企業に採択されました。
多軸自動制御複合旋盤とCAMにより複雑工程を要する複雑形状部品への加工対応力を強化しています。品質・生産性向上、社内改善のために平成26年度より全社をあげて5S活動にも取り組んでいます。また当社オリジナルシステムを構築しPQCDSMEの対応力を強化しています。
令和2年9月には長野県SDGs推進企業登録をし、持続可能な地域環境に配慮した工場運営を実施しています。
代表取締役 熊谷 剛
会社概要
企業名 | 有限会社オノガワ精機 |
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代表取締役 | 熊谷 剛 |
所在地 | 〒395-0304長野県下伊那郡阿智村智里2303 |
資本金 | 500万円 |
電話 | TEL:0265-43-4512 FAX:0265-43-2094 |
創業 | 創業:昭和40年 法人設立:平成3年9月 |
業種 | はん用機械器具製造業 |
事業内容 | 精密機械部品加工 |
適格請求書発行事業者登録番号 | T21000002036022 |
長野県SDGs推進登録企業 | 登録番号539(第6期) |
主要設備 | CNC自動旋盤5台、旋盤5台、ボール盤2台、ネジ立盤1台、ESPRIT CAMシステム1台、画像寸法測定器1台、工具顕微鏡1台、高精度マイクロスコープ1台 |
主要取引先 | 半導体装置メーカー、医療機器メーカー、省力化機械メーカー、航空機アセンブルメーカー、産業用機械メーカー他 |
取引先金融機関 | 飯田信用金庫 駒場支店、長野銀行 飯田支店 |
アクセス
プロフィール
日本一の星空の村、阿智村から世界に通じる技術を。
はじめまして。オノガワ精機社長の熊谷剛です。ウェブサイトにご訪問いただきありがとうございます。
私は高校は夜間に通い、中学を出てすぐに父親(現会長)が経営していた会社、オノガワ精機で働き始めました。趣味はバイクだったので、整備士になりたかったのですが、なんとなく親の会社を手伝うのが自分の仕事だと昔から思いこんでおり、気がついたら父親を手伝っていました。
親父は家を継げとは言いませんでした。どちらかと言うと、「お前なんか役に立たないけど使ってやるわぃ」というくらい無関心(?)で、私はそんな家で育ったからこそなのか、何故か反発もせず、家を継ぐ以外の他の進路は考えませんでした。
旋盤がNC化していく時代の流れと共に
旋盤を、NC化したのは、この近辺ではうちの会社が最先端でした。当時は手作業(カム式)の機械がメインだったので、いろんなところから教えてもらいに来る人がいたほどです。
私が入った頃もまだ、ほとんどがカム式の時代だったので、カム式を覚えるのと、最先端の技術NCが始まりつつあるのを覚えるのと同時にこの世界を見てきたといえます。
試行錯誤しながらのステップアップ
普通の企業でしたら新人は勉強会に行かせてもらったり、いろんな研修を行っているかと思いますが、社長は「体で覚えろ」という方針で、とにかくどんなものでも、来た仕事は覚え、ノルマをこなすことで乗り越えてきました。そして新しい機械も次々に増えていったので、その度に試行錯誤しながらステップアップしてきました。
昔は検査の機械も今のように発達しておらず、検査を誤ったりして失敗して、全部やり直し・・・・材料も時間も無駄になり落ち込む・・そんな苦労もしてきましたが、今は設備も整え、ミスを減らす会社の体制も整えています。
そして、最新の機械設備が整ったことで、今まで難しかった案件にも応えられるようになりました。
オノガワ精機の強み
切削の技術は、比較的簡単にできるものがあるのですが、うちは難切削といって、削りにくい金属を加工したり、とても難しい形状のものが特に得意です。たった4人の小さい会社ですが、その分、複雑な形状に対応する技術力、試作や小ロットなどの細かい対応ができるという強みがあります。
難切削やステンレスの加工、モリブデン・ニッケルクロム・タングステンなどが入った難しい鉄の素材など、たくさんの種類の金属を扱う場合、それに適した工具を使わなければならず、こういった細かい対応ができるのも小さい会社のメリットだと思います。
小さい会社にしかできないこと、大きなラインのある会社では断られてしまうような、難しい案件を頼めるとお客様に喜んでいただいています。
(有)オノガワ精機 代表取締役 熊谷 剛
社員全員が職人。趣味のバイクで知り合った仲良し夫婦で経営しています。
オノガワ精機の熊谷雅代です。電話受付や事務・経理から、取引先様へのお見積、CAD、CAM入力、検査まで、一人何役もこなしています。
社長と私の共通の趣味はバイク。二人でツーリングに行きたいと夢を持ちながらも、日々の忙しさに追われて、なかなか実現しません(泣)
家事がおそろかになっても、やさしく手伝ってくれる、義父母の愛情にも支えられながら、仲良く業務をこなしています。
びっくりするような山の中にある当社ですが、春は花桃がきれいですし、ぜひ気軽にご来社いただきますようお待ちしています。
熊谷 雅代
熊谷 耕平 前オノガワ精機社長にインタビューしました
オノガワ精機ができたのは耕平が27歳の時。当時平和時計から独立し会社を始めたのがきっかけです。小さい旋盤1台からはじめました。
趣味は陸上で、従業員と一緒に駅伝に出たりしていました。
当時は阿智村の駒場に工場があり、子供をおんぶした妻と通って、夫婦一緒に働いていました。
息子が小学生の頃、自分の家の横に工場を建てます。当時としては、村では大きな工場で、近所の奥さんたちに来てもらい、大勢で部品加工の仕事をしていました。そのくらい手作業での工程がたくさん必要でした。
その後、息子が手伝ってくれるようになり、平成27年に社長を交代するまで、ずっと第一線で活躍する職人でありながら社長業もこなしてきました。
現在の趣味は「古道」を愛することです。「恵那山と富士見台を愛する会」「東山道網掛古道保存会」の会長をしています。この古道は、何千年の昔から使われていた古道で、東山道の通り道でした。
明治24年、ウェストンが松本から来て、飯田市時又から舟下りをした記念すべき旅の途中に立ち寄ったとされ、「日本アルプス登山道探検」と書いた記念の看板がたっています。
清内路峠が整備され、その後中央自動車道ができ、人々が車で行き来するようになると、古道を通る人はいなくなりました。山道は整備しないと歩けなくなってしまいます。
保存会では、古道を愛する皆さんの手で、古道保護のために山を歩き、整備をしています。
オノガワ精機は、この古道のちょうど麓にあり、うちの裏から山道へ続く古道が通っており、網掛山や恵那山の大きさを感じることができます。